コロナワクチンは、第1回・第2回ともそれぞれ1億人を越える国民が接種を受け、接種率は80%を越えた。また、2020年からの新型コロナ感染症の入院患者数は約750万人に達し、医療体制の逼迫、患者の療養中の生活や就労など様々な問題が噴出している。これだけの大規模で深刻な事態であり、しかも特定の疾病を対象とした大規模な予防・治療事業は、わが国では過去に類を見ないにもかかわらず、不思議に耳にしないのが、医療費の国民負担問題である。
従来、医療と患者負担は不可分の関係で論じられていたが、今回の新型コロナ感染症に関しては、ワクチン接種、医療機関での治療費は全額公費負担で受診者負担はない。また、自治体による抗原検査なども無料の場合が多いが、国民・患者の医療費負担が問題となっているという報道も見かけない。
この公費負担医療の対象としては、①被爆者、公害被害者などその原因が社会的なものであり医療支給が公的責任で行われるべきもの、②伝染病などの必要な措置をとらなければ社会の安全や安定が損なわれるもの、③生活困窮者、障害児者など適切な医療が提供されなければ生活困難となるもの、のいずれかが基本要件で、そこには社会的socialな責任で、社会の安全の保障securityを図るという意図が読み取れる。今般の新型コロナ感染のパンデミックは、まさに②の典型ともいえ、国や自治体が費用を負担することは明白で、国民の多くも同意している。
では、一般的な事故や傷病はどうなのだろうか。今日にいたる医療は医聖ヒポクラテスのギリシア時代に始原を遡るが、社会保障が成立する20世紀まで基本的には「私傷」「私病」を対象とし、患者負担が原則であった。このため富める者と貧しい者の医療格差は峻厳で、国民の多くにとって医療は手の届かないものであった。
こうした状況で近現代に生まれたのが社会保険制度としての医療保険であった。ここでは怪我や病気は個人的問題としながらも、それを放置すれば職域や地域などのコミュニティを損壊することから、共同的public責任による相互扶助としての医療保険が誕生することとなった。相互扶助であるから保険料負担と患者の自己負担は当然のこととして組み込まれた。そして、美容整形のような個人の意向で実施される医療に関しては、自己private責任とされ全額患者負担が原則とされた。
このように医療をめぐる「公と私」あるいは「公・共・私」という構図はほぼ社会的に合意され、共有されてきたが、近年この構図が大きく揺らいでいる。
その第一は公費医療の拡大である。子育て支援としての「子ども医療費支給」が多くの自治体に広まり、対象年齢も拡大している。これは対象とする疾病も対象児にも限定がない一般医療を負担しているという点で従来とは大きく異なる。第二は不妊治療や出生前診断など、従来は「自由診療」として私的医療とされたものに社会保険が適用されたり、公費負担が導入されることとなるなど、公、共、私の棲み分けが入り混じってきたことである。
これらの誘因には医療技術の進歩や浸透というメカニカルな面もあるが、それだけでは説明がつかない。
ここには新たな理念の萌芽が見られる。20世紀型の医療が社会の安全保障securityであるとすれば、今日の医療に問われているのは、個々人の福祉wel-beingを高め、それを社会全体で共有するより包括的なシステムであろう。
21世紀の医療を論じるとき、高齢社会の医療負担、負担と給付のバランスなど医療供給体制の維持が話題の中心となる。もちろんそれも大事であるが、社会の中で医療が何をめざし、どんな役割を担うかという理念も議論する必要があろう。